2008年10月26日日曜日

冷静と情熱のあいだ(中江功, 2001)




昨日はあまりにも寝れずに、久々に見ました。
いつだっけかなぁ?高校生くらいの時に初めて見て、
その時から大ファンです。笑

冷静と情熱のあいだ、辻仁成と江國香織のコラボ小説の実写版です。
この本の大ファンなので2つとも未だに持っています。


恋愛小説ですが、どこか切なく、キレイな心に響く作品です。
阿形順生 (竹野内豊) の情熱とあおい (ケリー・チャン) の冷静さ。。。それがいつの間にかすれ違って、
お互いが違う道を選んでしまう。

『人は一番好きな人とは一緒になれない。』という崇の言葉。
10年後の約束という切れそうで切れない思い。。。
お互いがお互いをいつまでたっても忘れられず、遠いフィレンツェですれ違う。
いつまでも心に残る元恋人の陰がある限り、決して理想を崩そうとしない順生の情熱。
それを取り払おうと必死で新しい恋に挑戦するあおい。
この2人の冷静さと情熱のあいだを埋めることができるのは。。。

いやぁ、見てない人はホントに損をしますよ。笑

これを見ていつかフィレンツェのドゥオモの登ろうと決意したのを覚えています。
恋人とが。。。やっぱいいよね。笑

2008年10月19日日曜日

Lost in Translation (Sofia Coppola, 2003)


お久しぶりです。

暇がない!!!!!!!笑
何でこんなに忙しいんだってくらい勉強に追われてる毎日でございます。

学校が始まって中盤にさしかかりました。
この前ミッドタームテストが終わって、
今週末だけちょっと一息つけそうです。。。


ということで、前からどうしても、どーーーしても見たかったこの作品。
Lost in Translation。
スカーレット・ヨハンソンの出世作であります。

ホントにいい演技してます。

舞台は東京です。
この題名の通り、主人公たちが通訳のない世界で過ごす東京。
僕もアメリカに来て経験したこのもどかしさ、伝わらないことの苛立ち、
身にしみて感じました。

テーマはずばり、『伝えること』としましょう。笑


言葉が通じてても伝わらないことがある。
それは心。
心を通じ合わせるには軽いジョークや愛の言葉だけでは足りないのです。
ボブとシャーロットはお互い違う目的で東京に来た。
ボブは自分の仕事、それから妻との距離を少し撮りたいという名目で。
シャーロットは夫の仕事の関係で。

シャーロットは夫が自分のことをかまわず、放っておかれることがとても嫌に見えた。
そしてその上たまたま夫が知り合いのモデルと遭遇する。

ボブは自分の仕事での通訳のあまりの大雑把さに嫌気がさしていた。

2人はバーで顔を合わせて、意気投合し、お互いのことを知ろうとするようになる。
年の差はあっても自分の意見を通じ合わせることが出来た。
それはシャーロットの夫よりも、ボブの妻よりも、正確で穏やかな意思の疎通だった。

伝えることとはただ単に言葉を発することではなく、
相手を理解し、自分を理解してもらうという、
相互作用なんだとこの映画は言おうとしていると思った。

Relationshipとはそういうもんなんだろう。
お互いが安心出来ないような関係じゃなければ、
それはすぐにもろくも崩れる。




今、授業でcommunication theoryというクラスを取っています。
大事ですね。笑

それにしてもこの映画も東京をすごく綺麗に撮っている。
やっぱり日本は他の国の人から見て、
華やかで、大都会というイメージなのだろうな。

2008年8月28日木曜日

スカイクロラ (押井守,2008)



公開中の押井映画、スカイクロラ。
この作品は押井守自身、伝わらなければもう監督業を辞めると豪語する程の意気込みで作られた作品。

世界が平和になり、戦争がショーとして確立されたという時代設定で物語が進行する。
人々は生きているという実感を求め、青年になってから成長が止まり、戦死でしか死ぬことがない、キルドレという人種を開発し、
キルドレ同士を戦わせて、楽しんでいた。

生きるという、押井守が進めてきたテーマを全面に反映させ、キルドレはこの事実をどう受け止めているのか、描写が細かく描かれている。


この作品は本当に生きるというテーマというよりはむしろ、生きることの大切さや、僕らの知らない世界では戦争が起こっているのに、
それを無視するかの様に、もしくは平和ボケをしている日本人に向けての注意を促すようなテーマが垣間見れた。

死に際で死にものぐるいになって戦うキルドレは死ぬことの恐怖さえ忘れ、何のために戦い、誰のために戦うのかさえ錯覚し、
それと引き換え、人々は戦っているところを外から観戦し、誰が死んだ、何人死んだと情報だけを汲み取る。

平和とは、生きるとは、死ぬとは、実感しないとわからないものなのか。。。
誰かが犠牲にならないと物事は理解出来ないのか。。。

何とも残酷で、且つ現代人にとって最も必要な要素がこの映画には反映されていた気がする。

2008年8月20日水曜日

百万円と苦虫女(2008,タナダユキ)



もうすぐ夏休みも終わりに近づいてきました。

さて今回は今公開中の百万円と苦虫女。タナダユキのロードムービー的な映画です。

やっぱり蒼井優はすごくいい。ホントそれに尽きますね。笑


蒼井優もいいんですが、この映画すごくオススメです。
すごくわかりやすいし、温まるし、心にしみます。

テーマはすごく具体的に、『逃げるな』というもの。
苦しいことから逃げたり、臆病になって恋愛出来ないなんてダメ!っていうような映画です。

人生には必ず、立ち向かわなくてはならない壁があると思います。
それからいかに逃れることを考えるんじゃなくて、どう受け止め、正面からぶつかっていくことを覚えることが大事なんだと。

主人公の鈴子は100万円貯まったら別の町に別の街にとありとあらゆる場所を転々とする。
そこで出会った素敵な人たち、男性が多かったんだけど、その人たちと真剣に向き合うことが出来なかった。
なぜなら、100万円貯まったらどこかへ行くことを決めているから。

それは逃げることであって、解決策じゃないことを弟によって示された。

逃げないことを知ることってすごく難しい。とくに僕ら20代にとって、何が大切かをわかるのには絶対年月がいるとおもうから。
何事も経験なんだと思う。。。決断する勇気を持つこととかって色々見てきてないと、割り切れないと思うから。

鈴子はそれを知ることが出来たからきっぱり付き合ってる人と別れることを決断出来たんだろうなぁ。


すごく、シンプルだけどなかなか奥の深い内容で、見て絶対損しないっていうか、ありがとうって思えると思います♪



まぁやっぱり蒼井優が最高ですけど(笑)

2008年8月2日土曜日

歩いても 歩いても(是枝裕和, 2008)


調子良く書いていきましょう♪♪

只今公開中(8月現在)、是枝監督の最新作「歩いても 歩いても」を見てきました。

僕はこの作品がすごく好きです、っていうかその前に是枝監督の作品が好きなんですが、
ほんとにいい映画を創る人です。

家族モノってめっっっちゃ好きなんですが、
この作品はホントに、何度も何度もあぁ〜〜〜わかるわぁ〜〜〜みたいな、
とても家庭、いや、全国民の家庭に密着した共感せざるを得ないような内容。

今公開してるので、あんまりネタバレ的な内容は書きたくないんですが、
話の内容というか概要は歩いても歩いてものホームページにあらすじが載ってるので、
興味があればどうぞ。



ここで特に書きたい内容は、やっぱりこの映画のテーマ的な、
そんな感じの、もし見たい人が増えればいいなぁ的な、
なんて言うか、人助け的な。。。
いらないですか?
いや、自己満で書こうと思います。


キーワードがいくつか出てくるのですが、
たとえば、りょうちゃんの義理の息子アツシ君が言う、「死んだ人に手紙を読んだって聞こえないのに。」と言うフレーズ。
見えないものを、見えないものになぜ固執するのかとか、
存在しないものがなぜそんなに大事なのかという考え。

あと気になったフレーズが、
りょうちゃんがいう、「いつもちょっとずつ遅れるんだよなぁ〜。」という言葉。
これは実際の監督の体験談なんじゃないかなぁって思います。
阿部寛扮するりょうちゃんは親の夢を何にも叶えられないまま、
両親との別れを結局してしまう。
その結果がいつもちょっとずつ遅れてしまう結果に繋がるんだなぁって思った。

ホントに共感出来る部分がすごく多くて、
おばあちゃんの家に久しぶりに家族で行った感覚だった。
それだけ、すごい素というか、自然体を映した、シンプルだけど、
共感せざるを得ないような、そんな映画でした。

見てるだけで本当にほころぶような、
お笑い番組を見て笑うような笑いじゃなくて、
兄弟で、家族でふざけあった時のような、
そんなたわいもない笑いがあります。

でもこの人がすごいのは、
それだけじゃなくて、やっぱりシリアスな場面はすごいガツンと見せる。
やっぱり親はいつまでたっても子離れ出来ないとことか、
いやいや言っていても、やっぱり息子が来るとうれしかったりするところとか、
息子を思いすぎて、陰で張本人を憎む場面とか。。。
あんまり詳しくは書きません、
見たらわかります。親の気持ちって絶対こうなんだろうなぁって。

さぁ、映画館に行こう♪

2008年7月23日水曜日

時をかける少女(細田守,2006)





お久しぶりです。

タダ今夏休み満喫中ということで、実家に帰って来ています。

やっぱり日本はいいですよね、とアメリカに行ってから2年経ちますが、
改めて日本のよさが浮き彫りになります。
ごはんがおいしかったり、お店が24時間やってるとこが多かったり、
カラオケが安かったり、友達とはしゃいだり、邦画を見たり。

バイトをしなきゃ行けないのはツライですけど。笑

そうそう、
せっかく日本にいるんだから、やっぱり邦画をみなきゃと思って、
テレビやらDVDやらで見まくってます。

この前見た、時をかける少女という、アニメーションなんですけど、
よかったのでブログに書こうと思って久々に書いてます。

これを見て思ったこと、
日本のアニメーションフィルムが海外でも評価される意味。
とにかく、動きが鮮明で、ちゃんと口の動きとかも、セリフに合ってたり、
すごい細かいんですよね。
スタジオジブリの作品もいいんですけど、
アニメーションはホントに日本はクオリティが高い!




という話はいいんです。笑
ホントにこの映画はすばらしい当たり前のテーマを、
恋愛に結びつけてわかりやすく説明してくれています。

とにかくテーマは『時間』。
真琴が理科実験室で見つけたクルミみたいなものから、
自分がタイムリープ出来ることにだんだん気付いていくというとことから始まるんですが、
真琴がその実験室の黒板に書いてあった、
「Time waits for no one.」という1小節。
それを映画を通して、彼女自身がその意味を理解する、
というのが大きなミソです。

Time waits for no oneとは何をさすのか?

真琴は自分がタイムリープが出来ると知って以来、
自分に都合のいいように過去を変えて来た。
自分が死ぬとわかった日、朝から遅刻して、小テストがあって、家庭科で失敗して、
全部自分の都合のいいように変えたとたん、
人生が楽しくなった真琴。

だが、魔女伯母さんと真琴が呼んでいる実の伯母さんに、
相談に乗ってもらうにつれて、
自分がタイムリープによって幸せになってる分、
他の人が不幸になってるんじゃないかと示唆される。
実際千昭に告白された時も、
自分がいやだと思って、過去を変えたり、
クラスメートの男子が、天ぷらを揚げるやくを代わって、
他の男子にいじめられたり、
そのとばっちりをうけて、真琴の友人の友梨がケガをしたりという光景を見て以来、
真琴は自分がしてきたことの罪深さに気がつく。

それと同時に、自分がタイムリープ出来る回数に限度があるということにも気がつく。

自分がタイムリープ出来る回数が残り1回になった時、
千昭に「タイムリープ出来るだろ?」と言われ、焦って過去に戻って最後の1回を使ってしまったあと、
親友の功介とタイムリープによって功介と仲良くさせた果穂が、
本当は自分の命日に自転車で踏切に向かうところを目撃する。

そこでホントは2人は死ぬ予定だったのだが、千昭がそれを阻止する。
千昭は未来から来たと真琴に告白した。
それから自分がもうタイムリープ出来ないことも告白し、
真琴の前から消えようとしていた。

そこで初めて真琴は千昭の大切さに気がつき、
自分がちゃんと千昭の話を聞いてあげなかったことを後悔する。

時間は誰も待たない、という直訳の英語。
今やれることをやらないと後悔するよ、
という思いが込められていると思います。

千昭がタイムリープで、過去に戻ったことによって、
真琴は自分がもう一回だけタイムリープ出来ることに気がつく。

真琴はその1回を自分のため、大切な友達のために使う手段を考えて、
自分が後悔しないような使い方をする。

結果的に千昭は未来に戻ってしまったが、
千昭は真琴に未来で待ってると約束して、飛び立っていった。




時間は誰にでも同じ速度で、
本当に大切に使える人は、すごい得なんだろうなぁって思う。
時は金なりとはよく言ったもので、
大切さに気がつけない人はかわいそうなくらい。
時間管理の大切さ、まぁこの映画はそれだけじゃないんだけど、
真琴は本当に、自分の大切な全てをタイムリープによって知ることが出来たことを羨ましいと思う。
実際に人はタイムリープ出来ないので、
限り時間の中で、何が大切かを見極めなきゃいけない。
だから時間ある限り物事をかんがえなきゃだめですよネ♪
こんなこと考えれる僕って、将来有望?笑
でもなんでもやってみなきゃダメですよね〜。
細田監督が伝えたいことは、
僕にはよ〜〜く伝わりました。

さぁ、何しよっかなぁ〜?笑

2008年4月24日木曜日

Dog Star Man: Prelude(Stan Brakhage,1961)




どうもどうも。

今日はとても個性的な作品、Stan BrakhageのExperimental Film。
Dog Star Man:Prelude。映像をどうぞ。

まずはExperimental Filmとは何か。。。
和訳の通り、実験映画。
監督がViewerに実験しているのです。
この映画を見てもらえればわかるように、
はっきり言って訳の分からない、抽象的な、ぐちゃぐちゃな感じの、
これは映画と呼べるのかと、そのような錯覚、感覚に陥れるような作品。
この映画をArtと呼ぶ人もいれば、ただのわけのわからん映像ととらえる人も多いと思います。

Brakhageはこのような作品を300以上作っているらしいです。

彼はこの映画を作るにあたってのコンセプトとして、
音楽に値する映画と称しています。

彼に言わせれば、音楽というものは世の中で一番抽象的なArtらしいです。
音楽とは何?
例えば、音符の定義って何でしょう?
高い、低い、音、リズム、点、まぁなんとでも言えると思います。。。
音楽というものは形がない、目に見えない、だから抽象的なんです。
歌詞が着いていれば、何となく形はあるのかもしれませんが、
例えば、俺はロックが好きだ!てか好きです。
何でって言われると、ん〜、音が好き、だとか、ノリがいいだとか、
はっきりいって具体的な意見には到底結びつきません。
Brakhageはそういった”目で見る音楽”をここに作っています。
意味はないけど、人それぞれで違う感覚を持てる、
僕はこういう映画嫌いじゃありません。
何を見て、ARTと人は呼ぶのか、むしろ映画だけじゃなく、
絵画だって、陶芸だって、書道だって、写真だって、もちろん音楽だって、
Artなんです。
ピカソの絵を見て、これはArtだ!って思う人、
なんだよ、こんなん誰でも描けるじゃん、って思う人。
ただこの人たちがすごいことはこう言ったものを生み出したってこと。
先駆者となることはとてもすごい。
DADAISMという言葉があります。
これは一種の時代背景で、
1900年代前半に起こった、芸術運動。
人々は形式というものにしびれを切らし、
形にとらわれない、自分にしかわからなくてもいいという思想のもと、
自分がいいと思うArt形式を生み出す。
このFilmもその一環だと思います。

さて、Brakhageはこの映画を通して、何を表しているのか。。。
彼はこの作品を通して3つの感性を表しています。
1つ目は先ほど言った、音楽としてのFilm。
音楽をFilmとして表現したということ。

2つ目はLanguage&Pre-language。
言語そして、言語を習う前の例えば幼年期のような映画。
何もしゃべれない子供が何を思っているのかなんて、わかりはしません。
そのような赤ちゃん言葉のような、もどかしい感覚。

3つ目はView of Closed eyes。
目を閉じた時に見るような映像。
僕はこれを見た時はっきりこれを思いました。
最初のシーンでの赤く光る幕、暗くなったり、激しく明るくなったり。
そして、映像の途中のスクラッチ、とかなんとなく青い星みたいな、
流星群のような映像。
どっかで見たことあると思っていました。
小さい頃から、たまに目をつぶってそのまぶたを軽く押さえると、
このような映像が見えるのが実は子供ながらにすきだった。笑
まぁ頭おかしいとは思うけど、なんかその時見えている映像が、
幻想的で、非現実的で、なにより、すごいいいものを見たような、
変な感覚に陥るのです。笑
何となくわかる人にわかるような、
わからない人には絶対わからないような、
そんな神秘的で、独占的なこの映画を、
僕は尊敬のまなざしで見ていることだろうと思います。

誰でも作れるものを当たり前のように創る人がいる。
それはとても想像力が豊かで、
恐いもの見たさからくる、
鳥肌のような、血の気が引くような、
不思議な世界。

悪くないと思います♪